味噌蔵:天然醸造味噌:無添加手作り味噌:味噌漬けの ヤマイチ味噌

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2011年05月06日(金)

〔ヤマイチ味噌〕被災地へ

物資を積んで陸前高田の友人のところに行ってきました。
なるべく早く自分の足で行きたかった。
でも直接連絡が取り合える状況ではなかった。
少し前にやっと小まめに連絡できるようになった。

彼に予定を調整してもらい、5月3日の深夜に茨城を出発。
東北道の一関インターまで6時間、なかなか遠かった。笑
彼は現在、陸前高田市から一時間ほど内陸に入った
一関市でご家族と仮住まい生活をしている。

一関の仮住まいの家には4日の朝に着いた。
何年かぶりの再会、彼は憔悴している様子だった。
お互いにこんな形で再会したくなかったね。なんて笑った。

一関市は陸前高田市とさほど離れていない距離にも関わらず、
被害状況は僕たちの住んでいる地域と変わらない印象だった。
彼も言っていたが、やっぱり津波がね・・・と

1時間くらい色々話をして、僕は「陸前高田に行きたいんだけど・・」と切り出した。
「どんな状況か見させてもらっても良い?」と
被災地の景色・空気・においを体感したかった。

了承してもらい、陸前高田市へ。
峠をいくつか越えて、1時間弱走った。途中、とてつもなく大きい石が3、4つ無造作に転がっていた。

あの石、地震の前は無かったんだよね・・と。
そして陸前高田市に入る。

橋は流されていて、1か所からしか市内には入れないそうで渋滞が起きていた。
GW中ということもあり、僕も含め他県ナンバーの車が多数見られた。
地元の方が知っている裏道から市内へ。

まだ海からかなりの距離があるのにそこはもう別世界という感じだった。
家財道具・畳や電化製品が道路脇に出され、
家の中の土砂や流れてきたものを住人の方が掻き出していた。

彼の話によると、ここは海からの5kmくらい離れたところだが、ここまで津波が来たんだ・・と

彼が4月末まで避難していた場所はこのすぐ上だったそうだ。

そして海側へ向うため、川の土手沿いを走る。川沿いの竹藪が海水で枯れていた。
どこを見てもガレキ。
しばらく写真も撮れずに、ただその景色を見るだけだった。

しばらく走って彼の自宅があった場所に到着。
僕は思わず、「ここなの?」と聞き返した。自宅と醤油蔵があるはずのこの場所は、基礎だけを残して何も無かった。
少し離れた場所にもろみの入った木桶があったが、中は海水に浸かってしまっていた。

続きは、気まぐれ日記をぜひご覧下さい。

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